2019/08/07
No. 683
木幡和枝さん(1946-2019)とはしばしばバーのカウンターでご一緒した。さりげなく現れ、たいてい私が帰った後もさらに何時間もそこで過ごしていたと思う。木幡さんは思考と実践のはざまにあるゆるやかな時間にあって、聞くべき話には身を乗り出し、そしてていねいで明快な言葉で応じていたのだった。初めて会った時期の木幡さんは「アートキャンプ白州」(途中で「ダンス白州」と呼称。1988-99)のプロデュースをしていた。山梨県白州に多様なジャンルのアーティストが集まり、夏の森や畠にそれぞれが腰を据えて表現に取り組むものである(その後北川フラムさんが各地で手掛けたアートフェスティバルの先行例と言える)。私は個人的興味を覚えて通っていたが、たまたまバーで隣り合ったのがその仕掛け人である木幡さんだったという順序になる。
しばらくして1999年に茨城県取手市に東京藝術大学先端芸術表現科が設置され、木幡さんはそこの教授になった。池田剛介氏は、美術手帖8月号に寄せた追悼文で、木幡さを「その闘争性は、一般的な意味での政治よりも、個的で実存的な問題に向けられていた」と紹介している。かくして取手は木幡さんならではの闘いの場となり、そこで若者や若手教員を大いに触発した。白州で蒔いた種は取手でも発芽し、それが担い手を変えながら続く取手アートプロジェクト(TAP)のはじまりとなった。ある日いつものバーで、ゴードン・マッタ=クラークに興味があるという木幡さんに話をしたら、今度TAPでその表現(家の切断)を応用するから一度見に来ないかと呼びかけられ、そこからTAPと私との長い縁が続くことになる。
木幡さんの構えはざっくばらんながら、そのようにして人の歩みを前に進めさせる名手だ。おかげで木幡さんをきっかけとして、田中泯さんや下河辺淳さん、川俣正さんや辛美沙さん、大崎晴地さんなど、骨太な個性たちと知己を得た。先ほどの追悼文にはさらに、木幡さんお気に入りの「安寧は人を孤立させる」というメッセージ(もとはスーザン・ソンタグの言葉)が紹介されている。なるほどそういうことでしたか。その鋭さと熱量に会えないのは寂しい。