建築から学ぶこと

2019/06/19

No. 676

世界をつなぐネットワークのはじまり

19世紀末から20世紀にかけ、大勢の移民がアメリカに到来したことで、北部アメリカは人口が一気に増加する。南部からも多くの黒人たちが北を目指した。そのことでシカゴのような都市は、経済・産業発展の「明」と社会問題の「暗」が同居しながら大きく発展していった。建築の名作も生まれる。そのなかで、いくつかの社会奉仕団体が産声を上げていることは注目に値する。シカゴで始まったロータリークラブ(1905)、シカゴの西のオークブルックでのライオンズクラブ(1917)、デトロイトのキワニス(1915)など、今日も勢いのある国際団体が20世紀初頭に創設された。ボーイスカウト(1908)や青年会議所(1915)を含めてみれば、20世紀初頭の北部アメリカは、社会問題への意識が大いに研ぎ澄まされた空間だと言える。
この時期は交通や電信での躍進がある。ライト兄弟の有人飛行(1903)、太平洋を渡ったリンドバーク(1927)、T型フォード(1908)、太平洋横断の海底ケーブルの敷設(1906)は、人々の距離感を縮めた。それは北部アメリカの社会意識が世界につながるスピードを速くし、それと呼応して社会奉仕団体は世界へと活動の幅が広がってゆく。その後起こった第一次世界大戦後には国際連盟(短命、1920)や国際労働機関(ILO、今も健在。1919)が誕生し、世界をつなぐネットワークの整備ガ進む。
建築では、米国にいたメレル・ヴォーリズやアントニン・レーモンド、フランク・ロイド・ライトが太平洋を渡り、日本で近代建築の名作を生みだしたのはこの時期である。さらに20世紀の前半は、バウハウス(1919-33)や近代建築国際会議(CIAM、1928)が潮流を変化させる役割を果たすが、建築分野のグローバルネットワーク構築は、遅れて第二次世界大戦後の国際建築家連合(UIA、1948)となる。スタートが近い国際連合(1945)とは、いま密接な関係を有している。

佐野吉彦

フランク・ロイド・ライト「山邑邸」(ヨドコウ迎賓館、1923芦屋市)

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