2024/02/14
No. 905
古い記録を見ると、1988年7月3日にタングルウッド音楽祭で「小澤征爾指揮ボストン交響楽団」を聴いている。私は、壁の開いたシェッドという名のホールを取り囲む芝生に座り、小澤さんらしい<優しい音>を聴いた。お目あてはマーラーの交響曲第4番だったが、前半のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の方がその特質が良く表れていた、と手帖にある。小澤さんはボストンの音楽監督に1973年に就任し、2002年までその任にあった。あの夏の演奏は、すでに関係がしっかり熟していたことを感じさせるものだった。
小澤さんは新日本フィルとも草創期から信頼関係で結ばれている。音づくりにおいては、深く理解しあえる間柄を大切にしていたのではなかったか。1989年にサイトウキネンオーケストラを組織してから、晩年に至るまで小澤さんはこのオケで多くのチャレンジを続け、理想とする響きを紡いだ。体力が衰えてから、デュトワやネルソンス、山田一樹といった人たちがメインプログラムを振るのだが、サイトウキネンらしい柔らかな響きはずっと受け継がれている。
ところで、小澤さんの生年である1935年に近い世代には、武満徹や岩城宏之ら目覚ましい活躍をした音楽家がおり、そのうち山本直純(1932)とは音楽の普及に尽くす同志であった。サントリーホールやカザルスホールのスタートに功績があった萩元晴彦(1930)は、山本と小澤が連携した取組みであるTV番組「オーケストラがやってきた」を企画運営した人である。萩元氏は演奏だけでなく出版においても小澤さんの力を引き出した名プロデューサーだった。彼らが亡くなってから20年を過ぎているが、小澤さんの旺盛な音楽活動には、彼らのテーマや思いを引き受けている部分もある。熱い魂と、みずみずしさとチャーミングさを保ち続けた小澤さんの88年の生涯に敬意を表したい。