2006/04/12
No. 29
大倉正之助(おおくらしょうのすけ)さんの打つ鼓は、鋭く空間を彫琢し、同時に繊細な表情を見せる。ところは東京・中野の梅若能楽学院会館。昨年発刊した「建築画報」の安井建築設計事務所特集号(314号)誌上で大倉さんとここで対談することになったのだが、それに先立つ能舞台では、鼓が時に通奏低音のように、時に主旋律のように振舞っていた。この日の演目はイプセンの原作による現代能「ふたりのノーラ」。能と演劇とを融合させた、人間の本質をえぐる心理ドラマだった。この日の大倉さんの動きからは能楽囃子大倉流太鼓の確かな技(重要無形文化財総合認定保持者である)に加えて、敏捷で柔軟な運動神経に支えられたものを感じた。技を究める過程だけでなく、実は彼にとって欠かせない存在であるオートバイが育てた身体感覚も、伝統芸能を生き生きとしたかたちで継承することに寄与している。
とりわけ、大倉さんは身体と空間との関係性に強い関心を持つ人である。彼の説くところによれば、能はもともと野外育ちのもの。風が吹くなか、光のゆらぎがあるなかで演じられてきた。身体と自然との呼応で生まれる共感が能の原点にあるのだという。今も薪能は屋外で演じられるが、室内に取り込まれた能楽堂にもやはり自然のかたどりがいろいろと残っている。さらに、微妙な湿度に影響を受ける鼓という楽器自体も、自然抜きに考えられないものと言える。そうした背景のもとで発せられる鼓の音が空間をクリアに規定してゆくのである。
さて、大倉さんは1955年生まれで、私と同世代。若いときに、彼が自らの身体を通して時代や社会とどう関わりはじめたかについて語るのを聞くと、私と共通する空気を生きてきたことがわかる。人は成長するために、旅というものは大事である、と彼は言う。言い変えれば、旅とは自分を掘り下げるために不可欠なアクションと言えるだろう。そういうわけで、彼の旅は、かたちを変えながらこれからも続く。