建築から学ぶこと

2015/08/19

No. 486

理想都市への軌跡

近代以降の日本はいくつもの戦争を経験した。そのなかで、第一次世界大戦(1914-18)における日本は、特需に恵まれる側にあった。その後の関東大震災(1923)からの復興も後藤新平のもとで使命を達成し、昭和初期には日本の都市と郊外がバランスを保ちながら発展してゆくことになる。満州においては都市計画における成果が整っていった。ヨーロッパの人々にとっては、第一次世界大戦は深刻なできごとであり、平和維持機構の必要性が生まれ、ヴェルサイユ条約締結を機に国際連盟が発足することになる(1920)。その本部設計コンペの帰趨をめぐっての新旧世代論争を経て、近代建築の旗手たちが設立したのがCIAM(近代建築国際会議1928)というわけである。ここにも、建築と都市の未来像を描く、国境を越えた連動が立ち上がっていった。

その精神が、第二次大戦を跨いでの1950年代に、ふたつの新都市に結実する。インドのチャンディガール(ル・コルビジェ)とブラジルの新首都ブラジリア(コスタ+ニーマイヤー)である。オスカー・ニーマイヤー(1907-2012)はコルビジェとともに国連本部ビルを設計したのち、パンプーリアでの地域計画を経験し、巨大な理想都市を実現させる役割を果たした。ニーマイヤーは民主主義思想をデザインのなかで実践してきたが、できあがったブラジリアは国家としての威信に満ちた姿をしている。ここでは、人道主義と国家主義が親和性を持った時代が投影されている。

結局のところ、日本国内の昭和初期にあった穏やかな都市計画は、その後の戦災復興に際して後藤のように強力なリーダーを持ちえなかった事情もあり、順次貴重なパブリックスペースを失ったかたちとなる。そのような、思想の一貫性を欠く日本の都市を背にして、現代日本の建築家や都市計画家は、構想力をいかに磨くだろうか。

佐野吉彦

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