2022/03/30
No. 813
この3月に「内田祥哉追悼展」が建築会館ギャラリーで開催された。限られた期間ながら、創意あふれる企画で、反響も大きく、昨年96歳で亡くなった内田祥哉さんのレンジの広い活動をカバーするものだった。研究者・教育者としての功績、設計者としての切れ味はどれも一流だが、それぞれの視点が影響を与えあっている。まさに普遍性と固有性の往還と言えようか。
戦後間もない日本の建築界には、都市の不燃化と災害対応というテーマがあり、さらに新建材の登場があった。内田さんは、設計活動でその肌合いや特性を確かめながら、研究者としては建築構法を正しく定置させ、それを学問体系にまとめあげることに取り組んだ。そこでは大きな見取り図を描きながら、その先にある課題を探ろうとしており、その探求心は要素技術から都市へと展開してゆく。
また、内田さんが追究していた<建築生産システムのオープンシステム>は、やがて高度成長下でのプレファブ住宅の普及を支える基盤にもなる。その後時代が移り変わって、建築の維持管理や長寿命化を裏打ちするという本来の読み方に戻るのだが、そこで、木造の在来構法こそがオープンシステムであったことを内田さん自身が再認識する。こうして振り返れば、戦後の怒涛を越え、木造が復権する現在に至っても、内田さんが築いた体系や知見は、社会の価値観が動いても、いまだに古びていなかったと言える。
以上は、展覧会と同時期に刊行された「内田祥哉は語る」(権藤智之・戸田穣編、鹿島出版会2022)を読みながらの感想でもある。この本で語られるように、内田さんはいろいろな人との協働を求め、刺激を受けることを愉しみ、協働者を活かしている。そういうオープンなありかたと、その功績とは見事に一貫するものである。