建築から学ぶこと

2013/10/09

No. 395

周縁の活性化というテーマ

ベルリンを初めて訪ねたのは、ドイツ再統一からさほど年数を経ていない1994年だった。壁が東西を隔てていたゾーンは、幅と長さのある何もない領域となって再生を待っていた。戦前の賑わいの中心・ポツダム広場はずっと壁の足元で踏み付けられていたが、そこにあっけらかんとした空間が蘇った。しかし、UIAベルリン大会が開催された2002年に再訪したときには、すでに広場と建築群の再整備工事は完了していた。壁の西ベルリン側のベルリンフィルハーモニーホール周辺の建築群とも、滑らかにつながっている。あっさりと都市の主人公への復帰が実現した格好だが、半世紀にわたる周縁としての重い歳月の記憶は薄められた感がある。

ベルリンの近過去は特殊とも言えるが、近代の都市は、必ず一度は切り裂かれた歴史を持つ。例えば、ニューヨークでも、大阪でもマニラでも。貧困や差別は切り離しの理由となり、分かつライン、たとえば鉄道線や河川などは周縁を生む道具立てとなっていた。そこに都市の健全さを取り戻し、周縁の再活性化を目指そうとするなら、いかに無理なく都市を結び直すかにおいて、建築やデザインの力の腕の見せどころとなるであろう。

その点で、旧万世橋駅(神田‐お茶の水間路盤下部)の再整備は興味深いものがある。社会問題が存在した場所ではないが、旧・鉄道博物館に隣接した鉄道遺構でしかなかった大きな塊が、マーチエキュート神田万世橋という名の商業施設に変換されることになった。「みかんぐみ」が設計に関わり、歴史性を巧みに保ちながら、そこに新たな意味を重ねている。神田の街から、神田川を経て秋葉原方向に視線が抜けているのは特に素晴らしい。周辺に賑わいを呼び起こすところまでゆくかはまだ不明だが、この試みは多くの可能性を宿している。

佐野吉彦

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