2019/09/04
No. 686
寺社の聖域には、美しさだけではない人文的な要素がからみついている。今はその場に溶けこんでいるように見える建築物も、もともとは自然に立ち向かおうとしていたはずだった。ゆえに現代がそこに造型の手を加えるなら、コンテクストを深く読み解きつつ、突きぬける精神も必要である。2001年から始まった「建築学生ワークショップ」は2010年以降、会場をあえて運営や交渉の難しい聖域に設定し選び続けているのは、そのような視点があるのだろうか。昨年は伊勢神宮で、今夏は出雲大社で、来年は東大寺である。学生たちはグループに分かれ、こうした手ごわい聖域と向きあって、その場でインスタレーションを制作する。
かれらは夏の終わりの最終局面で作品を完成させ、そこで評価を得るまで3ヶ月ほどの助走や議論の時間をかける。長いプロセスには20人ほどのプロフェッサー・アーキテクトたちが併走し、学生にアドバイスを与え、批評し、アイディアの鍛えあげをサポートする。その場所で「循環」すべき建築とは何なのか。建築は地域の人々とどう関わるものなのか。一方で、いかに狭き門を潜ろうとする志があるか。こけおどしでない感動を与えることは可能か。言葉を粗末にしていないか。ここで生み出される会話のクオリティはとても高い。限定した期間ながら、聖域をさわることへの責任感が全員に共有されているからだと感じる。
ワークショップはその機会ごとに、聖職者の共感や、地域の企業の技術協力によっても支えられてきた。その熱気をうまく呼び覚ましている運営はなかなか手馴れている。リーダーである建築家の平沼孝啓さんの熱意は、今や建築界の熱気を生み出している。それは建築の次世代を生かすモデルであり、地域を元気にするモデルなのだった。