建築から学ぶこと

2021/10/13

No. 790

香りの記憶

海辺に行けば潮の香り、花が咲くと花の香り。これらは基本的には自然由来のものだから、誰もが同じように受容しているはずなのだが、人それぞれに感じかたの違いがある。視覚については、眼の前にあるものを理性のなかで整理している部分があるだろう。一方で嗅覚は人に直感的に訴えてくるから面白い。聴覚はその中間と言えるだろうか。音や香りは自ら創造することもできるが、漂ってくる受動的な香りは、予め知っている情報とのブレンド、その人なりの感覚の介入あるいは交錯が起こっている。
香りは定量的にカウントすることは難しいけれども、記憶することはできる。昨年流行った「香水」(瑛人)の歌詞にあるように、それは具体的な行動記憶と結びついて身体に格納されるらしく、香りが記憶を蘇らせる役目を果たす。個人的にも、ある場所で既知の香りに出会うと、違う場所の記憶を想起することがあり、年齢を経るほど、香りに伴う記憶は重層化してゆく感じがする。また、香りを集団として記憶しているというケースもあるだろう。たとえば宗教建築に満たされている香りは、構成員を結び付ける役割を果たしているのではないか。宗教だけでなく、建築にある特有の香り、たとえば古建築に宿るすえた匂いのようなものや、新しい商業空間にある甘いにおいは印象的だが、これらは人を誘引する道具立てとして意図的に使われる場合があるように思う。
ところで、先日グレーンウィスキーの工場の構内を歩いていると、原材料であるとうもろこしの匂いが漂ってきた。発酵から蒸溜に至るプロセス。工場は港に近い場所にあるが、そこにあるサイロの姿や匂いから、アメリカ中西部に広がる畠のシーン、そこに育まれた文化に誘われている気がした。実は私はそのような場所で風に吹かれた記憶はない。情報とはいつも、何かと快くブレンドされるものだ。

佐野吉彦

知多の香りが生まれる場所

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