2020/12/23
No. 751
2020年は、あらゆる領域での問い直しが進んだ年だった。一方で、政治家やメディアが発したわかりやすい言葉は、人心にひそやかな影響を及ぼしていた部分がある。かれらは世界を上手に解き明かすことには長けていたので、それはコロナを乗り越えるベンチマークにもなったが、その導き通りには状況変化がないことも多かった。そうしたあれこれが作用して、伊藤亜紗さん(*1)の表現に従えば「言葉が根を張らない年」の気分が形成されていった。
世界は簡単に変えられないにしても、まずは細やかに「兆し」を見つめるのが賢明なのだろう。雄弁な人たちにも、微細な変化に目を向けてもらおう。たとえば伊藤さんが「人と人との違いという意味での多様性よりも、一人の人のなかにある無限の多様性のほうが重要ではないか」(*3)と述べている。人のふるまいは、相手との関係によっても異なるだろうし、空間との関係によっても変わってくるはずだ。さて、障碍者を対象として身体論を掘り下げる伊藤さんは、「意識と体は必ずしも対応していない」ことに気付き、そこから「私たちの意識を超えて作用する記憶と体の関係をつなぎなおす」作業を続けている。(*2)自らの健康に目が向いた2020年から、身体について深く考えるこのような議論が活性化するかもしれない。
ところで、伊藤さんが受賞した第42回サントリー学芸賞(2020)と同時に栄に浴した小山俊樹さん(*4)は、五・一五事件前後の昭和初期の思潮を扱い、梅澤礼さん(*5)は19世紀フランスを丁寧に論じている。いずれも、過去は決して固定しているものではなく、そこに未来につながる生き生きとした真実があるとのメッセージを伝えている。それぞれの取り組みで大事だったのは<周縁にある課題>、<あたりまえの中にある真偽>をきちんと見極めるまなざしである。そこに2021年を希望のある年にするヒントが潜んでいると思う。
*1 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授 *2「記憶する体」(春秋社2019) *3「手の倫理」(講談社2020) *4 帝京大学文学部史学科教授 *5 富山大学人文学部准教授