建築から学ぶこと

2014/08/27

No. 438

光のなかの上海

久しぶりの上海である。とりわけ、市の中心からも浦東空港からアクセスの良い浦東・新区は緑豊かな街に成熟してきた。ここにある張江高科技園区(Zhangjiang Hi-Tech Park)は足回りの良い絶好の立地で、20年ほど前に歩みを始め、いま多くの官民・国内外の機関が集結している。そのひとつ、5年前に誕生した上海光源(上海同歩輻射光源)という名の放射光施設(共同利用施設)は、大型加速器を据え、そこから取り出す光を用いて物性やバイオなどの解析に幅広く活用されている。光の潜在的な力を納得させる施設だ。

この施設を訪れると、一室の壁に大きな文字で「格物致知」と記され、同じ壁にLight and Truthとも掲げられていた。同じ意味だが、漢語表記には「事物に則して本質を究める」というステートメントが含まれ、英語では、プロセスと目標がセットであることが語られる。儒学で鍛えられた言葉は、じつは先端科学にも活かされる視点を提供しているのだ。それを読みながら、人類がいかに抽象的な思考を掘り下げ、目に見えないシステムを構築して時代を重ねたかについて思いを馳せた。

おそらく宗教も、人類史の所産と言えるだろう。眼に見えない神という存在を求めるには科学と同じように抽象的な思考手順を熟成する必要があった。この両者、科学と宗教を結びつける賢人が、じつは上海に縁がある。ひとりは両者をつなぐ17世紀の中国に近代科学をもたらしたイタリア人マテオ・リッチで、同時にキリスト教の種を蒔いている。さらにその双方の弟子であった徐光啓(1562-1633)は、宗教と科学を矛盾なく許容した。その時代のバランス感覚は、現代にこそ重要かもしれない。

一方で、建築は具体的なものとして歴史を歩んだ。上海にも、光を主役とする上海光源のような建築がある一方で、徐光啓ゆかりの徐家匯・区に天主教堂(スジャフイ・カテドラル、1910年に英国人建築家D.W.Dowdallが設計)があって、光の中に神の存在を感じとる空間がしつらえられている。これらには抽象と具体のバランスがある。なかなか上海は奥が深い。

佐野吉彦

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