建築から学ぶこと

2008/05/21

No. 132

根の雨、枝の滴

伯耆大山は北を正面とし、日本海に向ってその全容を簡潔に示す山である。その反対側、中国山地に連なる南側の顔は、幾重もの山なみの果てにあり、面差しは異なる。少なくとも一望のもとにおさめるわけにはゆかない。山道を車でゆるゆると登りながら高みを目指してゆくと、次第にあたりが霧に包まれる森に移り変わる。ここは大山南麓・笠良原と呼ばれる高地で、そうした自然環境ゆえに、豊富な水を蓄える場所となる。そこに建築物という人間の意思を、注意深くはめこむ設計に携わった。水の恵みのお裾分けを頂戴する生産施設である。この仕事では、以上のような「山の実像」ときちんと向きあうことが、大事な視点だった。何せ、大山は神の山なのだから。

さて、その高みから谷あいに南方向へ下り切ると、JR伯備線の根雨駅がある。特急が停まるけれども、ぬくもりのある小ささだ。狭い盆地にある根雨(ねう)は出雲街道の宿場町で、狭い盆地ながら、かつて「たたら製鉄」などの産業の要の地であったという。現代の大動脈からは外れてしまったが、そのかわり根雨のまちには旧本陣をはじめ伝統的な家並みが健在。駅のすぐ近傍でもあるので、列車が着くまでの短いひとときに、この通りを歩くことができる。山から溝を介して流れ下る、たっぷりとした水の音と、密な細部を持った門構え。加えて、昭和4年の山陰合同銀行(旧・雲陽実業銀行)根雨支店、街角に置かれたいくつかの水琴窟(水を注ぐと音を奏でる壷)が揃い、見飽きない町並みが保たれている。まさに水の恵みを受けて生まれ育ってきた里。この密なる盆地世界の「根」には、ずっと山に降る「雨」があるようなのだ。

それから日を置き、札幌へ飛んだ。ここにあるのは同じ水流でも、豊平川という名の、石狩平野をゆるやかに流れる川。5月はじめは、河川敷も樹々の枝もすべてがみずみずしい緑で充たされる。このごろの春先はいつも美しい季節だが、ふと20年前の春さきの札幌の空には、スパイクタイヤが傷つける路面がつくる粉塵が舞っていたことを思い出した。この日は穏やかだったこの大都市は、厳しい冬と闘い、そのなかで社会インフラをどう整えるかという、重要なテーマと向きあってきた場所なのである。

佐野吉彦

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