2014/05/14
No. 424
デザインビルドとは、設計・施工の発注を一括しておこなう方式を指す。米国で1990年代にこの流れが生まれ、基本型である設計・施工分離への対抗パターンとして裾野を拡げた。今や米国の非住宅分野で2005年の29%から2013年の38%まで比率が上昇しているようだ。そこでは顧客に向きあうプロジェクト責任者と、それを支える設計・施工の専門家群が位置づけられる。2007年のデータによれば、コントラクターすなわち施工契約者が統括するデザインビルド(設計事務所はプレイヤーとして位置づける)が56%、設計事務所が統括するものが12%、その他(デベロッパーや特定目的会社など)が32%となっている。それは、質とコストの目標を的確に達成することへの要求が高まったことの証しであり、プレイヤーの能力の見極めが進んでいることの証しでもある。
このような動きを日本の建設業が眺めると、総合建設業という形態を優位性あるものと捉えることになる。往々にして、彼らは建築を効率的に短工期でつくるメリットを看板に掲げるが、実はその看板だけが建築プロジェクトの目標ではない。デザインビルドの責任者と名乗るからには、顧客の持つ要件を十分に究明する力を発揮し、コスト配分も客観性あるものにしなければならない。その点からすれば、設計事務所がデザインビルドの中心に立って顧客の期待に応えるのが望ましい、と私は主張する。デザインビルドは売りやすいネーミングだが、設計者の能力と努力不足に対する批判的視点で始まったはずであり、設計事務所はむしろデザインビルドにある思想を学んで臨むべきなのである。
ここで引用しているデータはArchitectural Record(電子版)の記事(*)による。この記事では第420回でも紹介した建築家ピーター・グラックの取り組みが紹介されている。彼は「建築家が優れたデザインをし、プロジェクト遂行の責任を取ることは顧客にとって最も有益である」との視点に立ち、彼の設計事務所(GLUCK+)は施工を含む一括管理を全うし、成功を収めてきた。建築家に対して彼はこう呼び掛ける。これは優れたデザインを実現するために必要な一連の作業だ、と。デザインビルドは、既成概念で育った設計施工一貫の企業のためにあるのではない。設計事務所はどこまで意欲的になれるだろうか。