2005/10/26
No. 6
第1回のガスビルの記述で、御堂筋の土地の購入は大阪ガスの会長・片岡直方(なおまさ)の決断だった、と書いた。当時、米国に外遊中の片岡は、ワンブロックの敷地を買うように、と電報を打った、という。最初のガスビル(1933)はブロックの半分だったが、戦後の北館増築で片岡の先見の明が証明されたかたちとなる。片岡はシカゴにも立ち寄ったのだが、かの地のグリッド型街区と使われ方から洞察を得たのではないか。片岡の眼前には、ルイス・サリヴァン設計のカーソン・ピリー・スコット百貨店(1904)もあっただろう。そのせいか、この建築の香りがガスビルにも漂ってきているようである。
シカゴは1871年に大火に見舞われたが、その後の復興と発展と呼応しながら、広い影響力を持った都市計画や近代建築を生み出した。高層ビルという概念は、この都市の交易都市としての繁栄、工業都市としての技術力が後押ししたものである。シカゴは近代建築における教科書というべき存在となったが、それは今日も変わらない。
今日のシカゴも話題作を生み出しつづける。なお、他の分野でもシカゴは教科書的存在であるが、そのベースにはシカゴの人々の多様な民族的出自がある。移民の波をすべて受け止めた活気と混乱から起こった社会的問題はシカゴ派社会学を生み、様々な宗派の信条を横通しするかたちで最初のロータリークラブが設立された(1905)。ちなみに、アメリカ建築家協会(AIA)が基盤を整えたのも、シカゴである。この大都市はさまざまな困難・対立を乗り越えたがゆえに、幅広い影響力と知恵をかちえたということができる。
そうしたシカゴの近代史を、建築を通して読み解こうとする試みがSchoolyards to Skylines (2003)という本である。これは小中学生のためのテクストであるが、教える側にも刺激あるものとなっている。シカゴ発のこの試みは日本でも関心を呼び起こしつつある。シカゴは建築以外の観光的魅力に乏しいと言われるが、建築と都市を掘り下げてみれば、これほど充実した都市体験ができる都市はない、と思う。