2009/08/05
No. 192
2000年に始まった<大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ>は、3年おきに開催される。2009年、夏。新潟県十日町市・津南町の広域(約760km2)に、さまざまな角度のアート約370点が仕掛けられた。名の知れた作家の力量も興味深いが、若い作家が丹念に地域と向きあっている姿も新鮮に映る。さまざまな国からの才能も、地域と腹を割った関係をつくって取り組み、風景をいきいきと動かしていた。このような3年ごとの取り組みのいくらかはそのまま地域に欠かせない要素として残り、静かな存在感を示しつづけている(契約のもとにきちんと管理されている)。アートトリエンナーレは、豊饒な緑、開けた谷あい、さまざまな水流など、魅惑的な自然要素に恵まれる越後妻有に受け継がれてゆく、終わらない物語の第4章だと言えよう。
さて今回、表現の場として、廃止された学校校舎がいくつか選ばれている。建築はいずれも質の高いもので、ある時代にきちんとした公共投資がおこなわれたことを示すものだ。アートは、その使命に敬意を表しつつ、校舎が消えても共有される魂を掘り起こそうとしているかのようだ(田島征三ら)。この地特有の堂々たる古民家の内部空間の魅力をぐいっと引き出したものもいくつかあり(ゴームリーら)、村落の空気のなかにある見えない領域性を、アートという補助線で明らかにしたものもある(管懐賓ら)。
ここでの試みは、内から見る地域像に外からの眼差しをいかに適切にクロスさせるかという例題の提示でもある。地域の次の時代を拓く種は自発性とともに、適切な交配によって生まれて芽を吹くだろうし、あまたある地域や都市も解き方は共通する。何よりも越後妻有アートトリエンナーレが見ているのは、即効性よりも、人が人と出会うこととそこから生み出す成果の可能性であろうか。総合ディレクターの北川フラムさんは、おそらく大阪(水都大阪2009)や高松(瀬戸内国際芸術祭2010)からもおなじようなメッセージを送り出すはずである。