2021/02/03
No. 756
昨年末に川崎市内に出向いたとき、いろいろな通りに中村憲剛選手のフラッグが並んでいるのを見かけた。ちょうどホームでの中村選手の引退ゲームの翌日のことで、川崎フロンターレの看板選手がこの地域にとってかけがえのない存在になっていたことを象徴していた。1993年に始まったJリーグの歩みは、ほかにも浦和に浦和レッズが根を下ろしている例があるように、最初から地域に密着し、地域とともにスポーツ文化を育む方針が一貫していた。その点でプロ野球やラグビーを上回る先進性を感じるものであり、ほかのスポーツでの取り組みにも影響を与えている。
Jリーグより規模の小さいBリーグ(バスケットボール)、Vリーグ(バレーボール)も同じように、地域定着を標榜するかたちになった。多少の身軽さを活かし、マーケットとなる圏域を絞り込み、独自色を生み出しているようだ。Bリーグでは、成功例である宇都宮ブレックスのほか、豊橋市本拠の三遠ネオフェニックスのように、三河と遠江という県境をまたいでエリアを設定している例もある。
さて、それぞれねらいの異なるクラブも、スポンサー収入が占める割合は大きいことでは共通している。たとえばJリーグでは、クラブの営業収益合計(2019年)のうち48%がそれに当たる。裾野の広がりはもちろん重要であるが、深く長いサポートも維持のために必要という事実を示している。収益合計は年々増加している一方で、クラブによって豊かさの違いも目に付くが、そこにはリアルさもあり、資金調達の腕の見せどころということになる。私はそれぞれのスポーツの現場をくまなく訪ねたわけではないが、さまざまな種類の球技の拠点が地域変革の鍵を握る期待がふくらむ。スタジアムやアリーナと、そこで輝く人々が都市の顔となるケースがますます増えるだろう。