2010/01/06
No. 211
少し前、2009年のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏会がオン・エアされていた。この日のメインはブラームスの交響曲第2番。番組ではリハーサル風景が紹介され、指揮者である小澤征爾さんが、どのような意図でそれを進めたかを語っていた。小澤さんは、演奏上でなおざりにできないポイントは譜面に記されているdolce(やわらかく)であり、今回はそれを重視して説いた(解いた)という。
実は、ブラームスは多くのdolceを優美な主旋律にではなく、副旋律に付している。そこで、本棚にある小型版スコア(総譜)とチェロのパート譜を取り出してみた。スコアからは、論理的に練りこまれた楽曲構成に、いくつものdolceが豊かな彩りを加えていることが確認できた。さまざまな楽器の、隠れた音の動きにdolceが添えられている。一方のパート譜では、dolceの一言が、主—副の位置関係を感得させ、ひとりひとりの意識をバイプレイヤー的感覚から目覚めさせる使者として効いている。私は学生のころ、このパート譜の指示を決してなおざりにせずに弾いていたはずなのだが、それらが全体景観につながる仕掛けであったことは、この番組であらためて理解できた。
このように、音楽における意図とディテールが譜面のなかで見事に完結している点は、建築における図面と同じことである。建築がただしく実現するプロセスとは、誤解のない図面を中心に据えつづけながら、そこに仕掛けられた意思を関係者が技術的に展開させてゆくプロセス。われわれがブラームスに学ぶことがあるとすれば、すべてのプレイヤーを締めつけ過ぎずに巧みにコントロールするチームマネジメント、そして言い過ぎないことによって、微妙なニュアンスを引き出す高度な作図法ということになるだろう(もちろん、想像力ある指揮者とプレイヤーなくしては達成しえないことである)。