建築から学ぶこと

2009/03/04

No. 171

変わることを恐れてはいけない、それは旅の本質だ

赤坂憲雄氏のエッセイ集「いま、地域から」に、司馬遼太郎の「街道をゆく」について触れた箇所がある。赤坂氏は、「司馬さんが歩きながら思索を深めてゆくタイプの人ではない」ことを、彼の「体験に根差した直感をもって感じる」と書いている。赤坂氏には「旅とはどういう精神的な営みなのか」を探るテーマがあり、江戸期の菅江真澄、明治以降のイザベラ・バードや柳田国男らの、旅する眼と著したものについて考察を続けている。司馬についても批評的に語られているが、批判的な態度ではない。そもそも民俗学者である赤坂氏自身が「旅する人」であり、旅することによって知を揺さぶられてきた人である。だから「旅」にこだわりがあるのだと思う。

彼が東北文化を究めつづけていることも長い旅の中の出会いと言える。若き日に柳田国男の著作に出会い、柳田と異なる眼(国家を背にしていない)を方法として獲得しながら、手垢のつかない実像を掘り起こし続けているのである。同世代である私は、面識はないけれども、旅への向きあい方に共振するところがあり、いくつかの著作を読んできた。冒頭のエッセイ集はたまたま仙台の書店で見つけたもので、2001年から2007年に至る赤坂氏の道のりをたどることができる。彼はいま東北工科大学大学院長などを務めながら、自ら始めた地域誌「東北学」の展開の種を蒔いてきた。種は「仙台学」「会津学」「盛岡学」などから「最上学」「庄内学」などへと視点をより細かくフォーカスしながら根を張り、それぞれの場所における導き手によって芽を吹いてきた。その始まりには、地域には自ら築いてきた歴史と哲学とコモンセンスがあるという、冷静な観察眼がある。

それは、「いくつもの日本」を切り出そうとする、赤坂氏の方法論であろう。だが、動きを促しながらも赤坂氏の眼差しは、さらに先を見る。地域は余所者がかかわることを排除すべきではないし、思想や未来は国の枠組を越えて遠い地域とリンクしていてもいい。それを見る眼差も、見られる地域も、自らが変わることを恐れてはいけない、そういう彼の決意が下敷きにあるようだ。

佐野吉彦

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