2014/11/26
No. 451
秋晴れの日、中津川(岐阜県)の静かな市街地を抜ける旧・中山道沿いに居た。一方通行のさりげない佇まいである。この日は労働金庫の支店の竣工式だったのだが、かつての日本の大動脈に面していると思うと感慨深い。私はこれまで武蔵野から近江路に続く街道沿いでさまざまな設計に関わってきたおかげで、中山道という「帯」を浮かび上がらせることができる。どこに立ってみても、明瞭な一本道が物流の流れを占有し、宿場町が文化の伝播を確実に支える役割を果たしてきたために、沿道の表情にはどこか共通のものがあり、建築の表情も風土の影響を受けながら少しずつ遷移しているのが興味深い。
これは500キロを越える距離の話だが、現代の都市経営においてもこのような「帯」を巧みにデザインすることは効果的であろう。多様性を許容しながら一体感を創出できるからだ。たとえば、主要部が脊梁・六甲山の南側に東西に広がる神戸市でも、東西を意識的につなぐことは、歴史的にもこれからも重要である。今秋4回目を迎えた「神戸マラソン」でも、三宮にある神戸市役所前から西を向き、明石大橋の直下・舞子で折り返すコースが設定されていた。神戸市の西半分である。走ってみると、沿道各地点の佇まいの違いが感じられて面白いが、回を重ねることで、神戸で催される大会として共通のものができあがってゆくであろう。歴史の長い「泉州マラソン」のように、9市4町をつなぐワンウェイのタイプ(1897年に始まる「ボストンマラソン」も同タイプ)では、すでに縦に延びた広域を結ぶ空気が成熟している。
ところで、走るスピードで結ぶ距離と、商店街のように歩いて結ぶ距離とは、足の感触も、景観のデザインの詰め方も異なるはずである。どちらのケースにおいても、離れたポイントを結んでゆく試みは、建築と土木の専門家が連携しながら知恵を絞る機会としても有効ではないだろうか。