建築から学ぶこと

2023/04/19

No. 865

京都競馬の100年

近代日本における競馬は、幕府が開国後に設けた横浜(根津)競馬場に源流がある。その後、軍馬の種馬育成を目的に置き、馬券発売による運営などと複合しながら、日本独自の歴史を重ねてきた。日本中央競馬会が中央競馬を主催者とする現在のかたちになったのは1954年である。京都における近代競馬は1907年に始まり、1925年に現在の淀の地に移転してからおおよそ100年の道程を刻んでいる。淀は京都の南の玄関口という位置取りだが、中山・東京・阪神・中京競馬場などと同じように郊外電車に近接し、さらに近い位置にかつて軍用施設があった点で共通している。また、1923年には淀川を挟んだ山麓にサントリー(当時、寿屋)の山崎蒸溜所が開設され、今も続く優良事業がこのあたりで同時期に産声をあげたのは興味深い。余談ながら、東京競馬場のある府中のほど近い場所でサントリーはビ―ルの生産を開始している(「中央フリーウェイ」で歌われているように)。
そして、1938年に淀に新しいスタンドが完成した。設計競技に勝った安井武雄が設計を手掛けている。鉄骨トラスの大屋根などの技術追究、ゼセッションの香りが高いデザインが印象的であり、当時の京都競馬にはこれを進める前向きな空気があったのではないか。その後の戦争でこの大屋根が供出されてしまった以外は、戦後も後退することはなく、1971年・1980年・1999年とスタンドの建築を続け、さらに2023年の新スタンド完成に至った。そこに安井建築設計事務所が関わり続けてきたのは喜ぶべきだが、この100年の間に競馬事業の運営システムが、競走馬・騎手やスタッフの育成を含めて、安定基盤を維持できたのは驚くべきことである。
一方で、競馬場のイメージは清潔でソフトなものになってきている。たとえば最近のサッカースタジアムの取組みも刺激を与えているに違いない。次の戦略は、インバウンド客を、京都の中心に程近いこの場所にいかに足を運ばせるかというところにあるだろう。

佐野吉彦

新たなスタンド、わくわくするパドック

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