2008/07/02
No. 138
建設通信新聞に「読書」のページが新設された。私は、そのなかの「心に響く私の1冊」というコーナーで、鶴見俊輔著「期待と回想」を紹介することにした(6月25日付)。
「日常のわれわれは加工された情報に便りがちで、常識の枠を破ろうとしない。自らの手足を使って思考することを放棄してはいないだろうか? 哲学者・鶴見俊輔はその歩みの路上で強固な論理体系と向きあい、また多くの実践を経ることのなかから、現実に潜む本質を見極めてきた。法が生成する状況について考え、国家や政治活動における変曲点を凝視するなど、その執念とあくなき好奇には舌を巻く。
本著は、聞き書きのスタイルをとった鶴見の自伝である。文庫化されても語る中味はずしりと重い。日本を代表する知性が問いかけているのは、個が引き受けるべき責任である。鶴見は、ものごとを体系づける作業より、個がいかに自らの思考を鍛え方法論をかたちづくるのかについて考えを深める。そして、個には国家を越える夢もあり責任もある、と鶴見は語るのだ。」
鶴見氏は反国家主義者ではないが、あらゆる「前提」には疑念を投げかけてきた。同時に法律に先立つコヴェナント(誓約、盟約)を注視してきたことから、個には国家を越える夢があるという表現が紡ぎ出されたのだ。人智を信頼しているところはさわやかなものがある。もっとも私個人は、人智を超える存在については認めたいとは思うのだけれども。
ところで、このコーナーでは斎藤公男さんが山本学治著「現代建築と技術」を、牛嶋教雄さんが松原泰道著「百歳の禅語」を推しており、程よい取り合わせである。ちなみに、斉藤さんは文中で山本学治氏の「凧を飛翔させるのも糸であり、凧の飛翔を拒むのも糸である」ということばを引用している。私も山本氏の本で読んでよく覚えていて(もともと作家アンドレ・ジッドのことばだと氏は書いている)、若い世代にずいぶん紹介してきたものだが、前後を入れ換えて記憶していた。凧の飛翔をはばむのは糸であるが、凧を飛翔させるのも糸である、と。私にはそのほうが夢を感じると思ったからだろう。