2008/11/05
No. 155
まもなく改正建築士法がスタートする。その条文を定めるための議論は、現実の動向をフォローしようとする視点があり、綿密すぎるくらいの手が加わっている。一方で、第146回でも触れたように、改正の趣旨はプロフェッショナル育成の正統的な道のりを形づくることにあるはずだが、これから目指すべき建築のありようについて、官の専門家と民の専門家のあいだで足腰が十分定まっていない感がある。
いまここで法律の問題点を指摘しようとするわけではない。むしろ今回の改正を職業(職能)倫理のことについて、法律と切り分けて考える好機だと考えたいと思う。というのは、倫理とは個人に帰属するテーマであるからだ。それは法律や国家を守るためにあることが目的ではなく、自らが選びとった職業(職能)に対していかに嘘偽りない行動をとれるかどうかが鍵となる。建築団体が綱紀を律するために設けた規則に従うことは、その団体の会員にとって必須のことだが、そこに属して誠実に務めるだけでは倫理に基づいているとは言えない。倫理は自発性行動が伴うべきものだろう。
倫理とは観念的な次元のものではない。専門家が目指すべきありようを考えるということは、建築をつくるおりに、公正なプロセスをつねに「自らが」選択すること。そして、「建築にかかわる能力によって」関係者に益をもたらす(幸せにする)ことであると言える。職業(職能)倫理に基づくことは人間的に優れていることとイコールではない。おそらく、この点について、プロフェッションのなかの異なる世代が積極的に向きあい、また異なるプロフェッションどうしが交流しながら、それぞれの職業(職能)倫理を究める努力が必要であろう。ここで、お互いの本分や立場にきちんとした敬意を払うことが、正しい倫理観を育むのである。倫理は上位者やテキストによって与えられるものではないのだと思う。