建築から学ぶこと

2010/12/22

No. 259

「われわれ」の使命とは?

森美術館で開催中の「小谷元彦展/幽体の知覚」では異なる切り口で「かたち」の問いなおしがおこなわれている。どの作品も少しばかりの不安をかきたてるのは、日常見えているかたちの安定感を崩してみているからか。たとえば、表皮の下に、「かたち」をつくるために費やされたエネルギーや運動が消えずに残っていたことを物語る作品がある。あるいは既存の「かたち」のオルタナティブを示すことによって既存の正当性を疑ってみるものがある。それらは、創作することが世界や社会を問い直すためにあったことを思い出させてくれるものだ。

建築も創作行為であるわけだが、建築をつくる側のわれわれ自身、建築が持つ力をそのように扱っているだろうか?ある日、大きな製造工場を訪れる機会があった。そこに、長い時間を経過したいくつもの製造棟がきちんと手入れされて建っている。建築を大事にしていることはうれしいもので、確かに建築の力への敬意がみられた。反面、そこでは新しい建築を足すことが最小限にとどめられている。これは、事業者側が自らと時代を問い直そうとする「良識」を獲得したことを示しているのだが、われわれの側が時代を前に押し進める役割を果たせていないとも言える。

さて、2010年の空気には、前に進む勢いと後ろに退きかねない動きが共存していた。皆がそのことに戸惑ってはいなかったか。だからこそ、この季節においては、建築側に、見えるシステムも見えないシステムをもきちんと問い直す姿勢が必要なのである。別のある日の私は、大学にいて修了制作の作品群を見ていた。建築の学生たちは既存の市街地や伝統建築が形成してきた都市システムに向きあって、新しい建築という手段によって緊張感を加えようとしていた。建築を強く信じる姿勢は評価できるが、それだけでは時代を突き抜けられない。さらに現在の社会システムを問い直すところまで進んでよいのではないだろうか。時代を先んじて走っているのが建築のプロ。2011年のわれわれはそういう姿勢を忘れてはいけないと思う。

佐野吉彦

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