建築から学ぶこと

2008/05/28

No. 133

鳥の眼のボストン

ボストンは、海との接点に生まれた。正確には、17世紀に清教徒が海を渡り、たどりついてつくったのがこの街の近代史だ。ボストン公立図書館で見た「Boston and Beyond: A bird’s Eye View of New England」展にある鳥瞰図のほとんどは、海を手前下側に描き、広がる野を街の向こう、上側にとる構図になっている。この街の由来と使命が一枚の絵に盛り込まれていると言うことができる。初期の絵は人家もまばらで図式的なものだったが、産業が興隆し、大学教育が充実する19世紀のボストンの姿は、解説によれば約2500フィート(750メートル)の高さから見渡したものとなっている。まさにこれは威容、図のなかにポジティブなメッセージが感じられる。解説はまた、この街の変化を見るなら鳥瞰図の中の水際を見よ、とも記している。時代が進むにつれて港湾機能は変換し、その由来と使命どおり、人の活動の舞台は内陸部へと移ってゆくようすを読み比べることができる。

平行する時代、江戸後期の鳥瞰図には、富士を背景に置き、いくつもの掘割を描いていた。風水を解き明かしているようであり、自然とのデリケートな関わりあいを明らかにしているようでもある。ボストンとは異なるメッセージであり、使命の違いが感じられる。だが、両都市はこうしたせっかくの水際の魅力と意味を、20世紀の後半まで粗末にしていったことで共通している。鳥瞰図を必要としなくなったことと関係あるのではないだろうか?

さて、5月は私にとって20年ぶりのボストンであった。海岸線と同じカーブをとっていた高速道路は地下化されて緑道が形成され、水族館、新しい現代美術館などへのアクセスが整備された。このあたり、以前はもう少し殺伐としていた記憶があった。いまやボストンや東京を含め、世界至るところで水際の価値が再評価されてきたが、それは都市に託された使命が変化してきたからに他ならない。都市に期待される「ソフトパワー」が景観の質・適切なイメージと比例するようになっている。皮肉に言うなら、いくぶん計算高さに満ちた風景が現れたという見方もできよう。もっとも、鳥瞰図こそ計算高いものではなかったか。だから今見ると素直に感銘を受けるのかもしれない。

佐野吉彦

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