2011/11/16
No. 302
日本がTPP(環太平洋経済連携協定)にどのように向き合うか。取りあえず、交渉参加に駒を進めることは決まったが、ここから踏むプロセスこそが真の外交能力ということになるだろう。さてそのTPPにかかわる報道を見て、1990年代にも同じように国際的な動きに揺さぶられていたことを思い出した。1989年から90年は日米構造協議の時期であり、1997年には第3回気候変動枠組条約締結国会議(COP3)で京都議定書が採択された(国会承認は2002、発効は2005)。1995年のWTO設立と1998年のAPECエンジニアの枠組承認(2000年にはAPECアーキテクトの動きも始まる)は、建築設計のビジネス環境を変える可能性を有するものだった。
UIA(国際建築家連合)1999北京大会では、建築家の能力や教育プロセスの国際的に共通する基盤を整える決定がおこなわれる。それでも、この時代の日本は、国際的フレームづくりの動きに乗り遅れない手は打っていた。1997年には日本建築士会連合会が日・中・韓建築士協議会をスタートさせ、今年横浜で第15回を迎えるまで継続している。1999年の北京で2005年大会の日本誘致に失敗した日本建築家協会(JIA)は、ただちに取り組みを強化し、6年後に2011年の東京大会誘致にこぎつけている。
現実の動きとしては、東アジア圏におけるさまざまなつながりは深まった。建築設計分野においても同様だが、1992年のEU発足以後の欧州諸国に建築設計の垣根がなくなったことに比べれば、そこまでの進展ではない。どの分野においても言えることは、国内市場が縮小してきている2010年代の日本こそ、1990年代のように前向きに取り組むべきことである。あれから一貫したリーダーシップを発揮できたかどうかも省みながら、大きな将来ビジョンを描く場面にわれわれは立っている。