建築から学ぶこと

2009/08/26

No. 194

1968年リバイバル

映画や文学などの表現手段を通じて、1968年前後に起こった学生の叛乱にスポットライトが当たっている。私はいま、7月に刊行された小熊英二著の分厚い近著「1968」を相変わらず読み進めていて、まだ下巻の中程にいる。持ち歩くには重いのが時間のかかるゆえんだが、実に広範で精緻な検証がなされている。

その年を中心として、真剣に教育環境や社会を問い直そうとする空気があったことは事実であり、パラダイムの変換は不可避の局面であった。ソフトランディングで改革が一歩進んだ例がある一方で、対峙することになった双方が適切な対応をするタイミングを見過ごしたことで、不幸な終結を迎えた例もある。これらの状況がひと括りで捉えられるものでないことを、「1968」は明らかにする。

40年前の大学生は、まだまだ社会のなかで活力ある存在である。そのときに成功したか挫折したかはともかく、彼/彼女らは、眼前にあったできごとから、自発的な行動をいかに適切な手順を踏んで結実させるかが重要であることを学んでいたはずである。私の知る人たちが、都市計画やまちづくり、ボランタリーな活動のような分野に、そのおりの燈火を胸に宿して取り組んでいるが、原点がその時代に由来することは興味深い。

さて私にとっての1968年は、中高一貫校の中学2年生であった。全国的に高校での紛争が激しかった翌年もまだ中学生だったが、この学校では生徒側が制服廃止と長髪解禁を勝ち取っている。高校生になった1970年にはその余熱があったが、結果としてこの学校では冷静な議論と対応があって、穏やかに終息した。中学時代は受動的ながら、私は今もその時期のことを比較的ポジティブなものとして記憶しているのだ。どの立ち位置から何を目撃したかによって、人が学ぶこと・身体化することはずいぶん異なるように思うのである。

佐野吉彦

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