2020/06/03
No. 723
かつて危険なイメージがあったニューヨークの街は、1990年代に入って治安が改善するとともに、文化を穏やかに楽しむ余裕が生まれた。この時点で、もともとこの街にある文化の豊かな基層をあらためて掘り起こしにかかる作戦が本格化した。その試みのひとつが、地下鉄やバスの車内広告と隣り合わせでさりげなく「詩」(またはその一部)を掲げることであった。92年に始まった、同市交通局とPoetry Society of Americaの協働企画による“POETRY IN MOTION”は、扱われた詩の質が高く、シルヴィア・プラス、エミリー・ディキンスンといったアメリカの有名どころを取り上げるだけでなく、サッフォー、リルケ、ネルーダ、小林一茶に及ぶ目配りの広さがある。
さて、手元には、96年の時点で100の詩を詞華集に編んだ本“POETRY IN MOTION”がある。これらの詩は本来、地下鉄のガタガタっとする響きと重ねあわせて読むと味わいがあるものだった。地下鉄のリズムはこの街の骨格と文化の基盤を形成する重要な要素なので、つまり、都市と詩のスリリングな交錯の記録ということになる。このあとのニューヨークは2001年に同時多発テロ、2012年にハリケーン・サンデー災害、そして今年は新型コロナウィルス感染症に遭遇し、乗り越える運命を担っている。どうか都市も文化も健在かつ魅力的であり続けてほしいものだ。
のちに、“POETRY IN MOTION”のコンセプトは世界の都市交通に広がる。いろいろな場所で文化を感じ、新たな世界へ誘われることが都市に共通する魅力であることが証明されたのである。リモートになくてリアルにあるものは、こうした偶然性の面白さだ。人は、新たな世界や視点と出会う中で、自らを高め、成長する。そのために都市に何をどうしつらえるべきかをもう一度探ってみたいと思う。