2008/12/24
No. 162
JRの中央東線は、韮崎駅を過ぎると八ヶ岳山麓をめざす急坂にさしかかる。かつては一駅一駅がスイッチバック形式で、列車は折り返しながら高度を上げていった。その山麓上部に発する湧水群から、広い山麓に向けて何本もの用水が引かれている。隅々に至るまで水をゆきわたらせ、農作を可能にするためである(つまり、上り下りのふたつのベクトルに技術上の苦心があった場所なのだ)。
用水のひとつ、小海線・甲斐小泉駅あたりを水源とする「三分一湧水」の名は、水が麓の三方向へ分岐してゆくことに由来する。その湧水が源から下って程近いところに、美しいしつらえの分水場が設けられている。そこでは、水盤の中程に置かれた水分石が、均等に水量を制御しているようすを見ることができる。江戸時代の地域間協力によって実現した配水システムで、幾度かの改良・整備を経ながら、今日も目的に沿うかたちで機能している。もともと無用な対立を防ぐためにも編み出された知恵だが、現在は供給された水が均等の責任を担って活用されている。
湧水は年間を通じて9.6度の温度を保っており、凍ることがない。かくして荒くれの地は水を得ることで人文的景観として成熟した。はじめに農とともに生きるという不退転の決意と目標があり、そのうえで技術を正しく適用している。考えてみれば、三分することは二分より知恵が必要であったし、管理の手間もかかるものだ。三分一湧水は、この土地をめぐる「技を究めるドラマ」が具体的なかたちとなって整えられたものと言える。
さて、昨今の環境問題をふまえて生まれる景観はこのようにうまく成熟してゆくだろうか。数値的目標だけが先行すると、地球には優しくてもその場所に似つかわしくない光景が突出してくる懸念がある。地域の将来を考えるうえで、生活系を整える努力と、時間をかけて景観を編みあげてゆく努力を重ねあわさねばならないだろう。文科と理科の連携によるマスタープランづくりだけでなく、個人の意欲と見識も頼りにしたい。