2016/06/15
No. 527
ひとりの創造的な取り組みが、他者の取り組みに影響を及ぼし、そこで生まれた知がフィードバックされる。都市はそうして時間をかけて豊かになってゆくのだ。そのようなことを、松岡和子著「深読みシェイクスピア」(新潮文庫2016、原著は2011)を読みながら考えた。松岡さんは翻訳者であり、シェイクスピアをはじめとする日本の演劇上演において、テクストを整える役割を果たしてきた。松岡さんのプロの技は、坪内逍遥や福田恆存など先達翻訳者の成果をさらに深く掘り下げる作業に留まらない。3次元あるいは4次元のものである舞台上演の動きから、あるいは演ずる俳優が発する質問などから、ひとつの対話に含まれたダイナミズムを感じ取り、再構成している。
この本で紹介されている、シェイクスピア上演の現場でのできごとはなかなか興味深い。ひとつ挙げると、「夏の夜の夢」における、カナダ生まれの演出家ジョン・ケアードとの共同作業で<松岡の日本語訳を第三者が英訳して、それをケアードがチェックして上演台本の決定稿をつくる>というプロセスを踏んだくだりがある。これは演出家と俳優がイメージを共有するために工夫された手順で、結果としてそのイメージはさらに観衆が共有するものとなり、古典は現代に接続するものとなる。それはすぐれたコミュニティを成立させるために手間をかけることと近いものがある。私自身は、演劇を成立させるプロセスは、建築をつくるプロセスより、建築をどのように使いこなしてゆくかの手順に似ているような気がした。
なお、本の中で松岡さんの言葉を引き出している聞き手・小森収氏のプロの技が卓抜である。なるほど、都市には高いレベルでのフィードバックが起こる人材が揃っている。都市は劇場だ、という言葉はそういう意味で使いたい。