2015/04/08
No. 469
春が街に舞い降りてきたある日、代々受け継いできた住宅の改装が出来あがったので見に来ませんか、とお誘いをいただいた。おじゃまして当主の解説を伺っていると、試みのひとつひとつに先代たちが遺したものへの敬意と愛情があることを感じる。ここは残したとか、そこは次の代のために丈夫なものに切り替えたとか、細やかな創意であふれていた。実は、長い歳月を経た住宅をリニューアルしようとすることは、大きなチャレンジだったに違いない。住宅を効率重視で新築することに比べると細かい手間がかかる。このプロジェクトは、要するに、古い家にこめられた魂をどのような姿勢で受け継ぐかを掘り下げたプロセス。そこには冷静に選り分ける眼があるのだ。建築あるいは家を受け継ぐなかで、適切な決断の駒を進めながら、そこに後世に向けた重要な意思表示を含ませてゆく。
この見学とは別の話だが、藤井厚二設計による自邸「聴竹居」(京都府大山崎町1928)は、意欲的な名品である。その維持への尽力だけでなく、その価値を社会に正しく定着させようと、松隈章さんは無私の努力を続けてきた。藤井が語り遺していないところにも、松隈さんはきちんと眼を配って位置づけており、今や彼なしにこの名建築は考えられない。それでも、彼の近著「聴竹居:藤井厚二の木造モダニズム建築」を読んでいると、功績を独り占めしない節度がとても好ましいのである。
おそらく、優れた建築は一代で完成するものではないし、多くの知恵と技量と歳月、そして決断を重ねあわせることで、いぶし銀の光を放ち始める。過去の技術を信頼し、人格に対して敬意を払い、かつての名建築を今の時代にも生きづくものにしてゆく。重要なのは、このような個々の取り組みを、社会における建築の価値再認識に確実につなげてゆくことだ。良い成果と良いメッセージに出会った、うららかな春。