建築から学ぶこと

2013/02/06

No. 361

高山の時と空

高山盆地は冬にしては珍しく晴れあがり、穏やかな空気に包まれていた。最初に当地を訪ねたのが45年前、この前に当地を訪ねたのは15年程昔だろうか。利用するのはいつも高山本線のディーゼル特急(最初は急行)なので、同じ時間が連続している感がある。最初の訪問で家族で歩いた通りは、その後の1975年に制定の「伝統的建造物群保存地区」の対象となり、翌年に高山市中心部の三町が一括して指定された。ここはさらに重要伝統的建造物群保存地区にランクされ、いまも街並み保存取り組みの先駆者にふさわしい評価を保っている。そのようなことで、個人的な印象にあまり変わりがないのは嬉しい。もっとも、何度か高山に立ち寄った理由が槍ヶ岳登頂の帰途であったり、円空仏を見るためであったりで、建築だけを見続けてきたばかりではない。

今回については、重要文化財・吉島家を訪ねる目的があったので、しばしそのダイナミックな内部空間に心揺さぶられる時間を持つことができた。それにまして吉島家当主にして建築家・吉島忠男氏、吉島氏が自邸を設計した飛騨高山美術館館長の向井鉄男氏をはじめ、高山の多彩な人々の個性に触れたのは興味深い。雄弁にして正論、見事な独立峯ぶりは得がたい存在である。交易の地である高山にはさまざまな知恵が集積する一方で、絶えずここから明瞭なメッセージが生まれているのはかれらの存在ゆえではないだろうか。

もうひとつ興味深い発見は、飛騨と越中をつないでいた歴史的な地縁である。県庁所在地である岐阜より近い他県。東海北陸自動車道が岐阜を近づけるまでは、高山の若者の週末には富山は近かったようである。道理で料理のメニューにエビなど北陸の海産物が登場するはず。食卓で自然に競演している山と海の食材からも、当地らしい知恵(栄養も)の集約を見て取ることができる。さて、次の日の朝はぐっと冷え込んだ。春はまだ遠い。

佐野吉彦

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