2008/10/22
No. 153
最初から意見が割れない議論に参加するのは、楽であってもつまらない。人それぞれに異なる意見と立場があるのは当然なので、それが聞き出せないまま終わってしまうのがもったいないのだ。合意とは手間をかけて形成されるものであるし、差異を乗り越えて集約したステートメントにこそ、より説得力がある。対話に手間をかけることは結論の正当性と厚みを保証するもの。国際政治においても異なる立場の意見集約は容易ではないけれど、差異を認めても放ったらかしではいけない。それでは有効な合意形成も安定した関係樹立もできるはずがない。
さて、ハンナ・アレント(政治哲学者、1906-1975)は「複数性が十分に生かされるような自由空間が成立していること」を社会の基礎要件と捉え、多様性を基盤に置く社会の可能性について論じている。建築サイドにいる私の実感としては、そうした多様性がひとつの物理的空間のなかに共存することに大いに意味がある、と考える。とても共通点が見出せなさそうな相手と、重なりあう領域を感じとることができるのは、ひとえに同じテーブルについて対話を深めたゆえではないか。建築をつくることの目的は、そうした対話の可能性、共存の可能性の場を用意することである(建築に何が出来るだろうか?課題はディテールから建築全体、地域全体のデザインに及ぶ)。
建築をつくるプロセスについても、発注者・設計者・施工者のなかに「対話的共存」があることは基礎要件である。そこで意味があるのは抽象的な理念や手堅い契約文面ではなく、ひとつの空間をつくるという目標が議論の先にあることだろう。いくら手のかかる議論のプロセスを経るべきだとしても、そこに鍛えられたカタチが現れるからこそ、それは合理的に収束するのだ。最初から意見が割れない議論によってできた建築が横行することは、都市景観を粗末で安直なものにするように思うのだが。