2013/06/26
No. 381
建築の専門家は、眼の前に見えていないかたちを想像できる能力を鍛えられている。そして、何かの目的のためにありあわせの材料から建築を組み立てる手順を組み立ててきた。建築会にはそういうシステムがある。それは、やがて大きな構想を生む母胎となり、材料の積極的調達や可能性の掘り下げを進めてきた。このような展開も各時代にふさわしい内容を含む基礎的な能力があればこそできること。現代では情報系の高いスキルなどを重ねあわせることによって、前例のない成果を導くことが可能となる。
こうした技術力・想像力に、グローバルな視点が加わるのはごく自然である。歴史の中で良いアイディアは国境を越え、さまざまな情報が統合されてきたが、今後はますます広がりが増すだろう。たとえば国内で手がける仕事のテーマが、どこかの国で解決を求められている社会問題と共有できるかもしれない。高齢化をめぐる課題や環境にかかわる数値目標達成は、まとめあげた成果が世界のどこかで、あるいは世界全体として活かされることになる。建築技術と情報は国家で完結するものではないのである。
設計作業とは、単純な建築主‐設計者の間の満足度の先を見通すものでなくてはならない。そもそも建築を設計することとは、社会にある課題を、明瞭なかたちによって解決することなのである。それを信じる楽観主義は、社会をより良く変えるための基礎能力と言ってもよいのではないか。時間をかけながら、多くのステークホルダーと合意するたくましさは、政治家が持つべき資質とも共有できるものである。かつてUIAの会長を務めたジャイメ・レーネルや、AIA(アメリカ建築家協会)に属する何人もの建築家が、地方自治のリーダーになっているのはまことに頼もしい。彼らは建築の専門知識と、楽観主義を支える人間力を涵養してきたのである。