建築から学ぶこと

2021/03/17

No. 762

スポーツの聖地を走る車窓から

鉄道路線には「歴史の端切れ」のような路線がいくつもある。たとえば西武鉄道多摩川線(武蔵境―是政)の前身は多摩川で採れる砂利輸送路線だった。採取が禁止される1964年以降は通勤通学路線に変わり、沿線のスポーツ施設を左右に眺めながらのどかに走っている。武庫川(兵庫県)の西宮市側を南北に走る阪神電鉄武庫川線(武庫川―武庫川団地前)も、今は団地の住民の足となったが、こちらはもともと1943年に軍事輸送目的で開業した路線である。戦争末期の武庫川団地には川西航空機の鳴尾製作所があり、その西には同年に開設された海軍・鳴尾飛行場があった。現在、工場は団地に、飛行場は団地と学校用地に転換されている。軍事に役立った期間は限られるが、鉄道路線はしぶとく生き残ったのである。

鳴尾飛行場の建築物(一部現存している)と滑走路用地は、そこにあった鳴尾競馬場の転用である。鳴尾製作所が進出した場所にはゴルフ場があった。つまり、これらの敷地の北西すぐ近くにある甲子園球場を含めて一大スポーツリゾートがあったわけである。もし戦争に首を突っ込まなければ、ニューヨークのフラッシング・メドウズ・コロナ・パークのように、都心からのアクセスが良いところでの快適な広域整備が進んでいたかもしれない。そちらの方に現在、ニューヨーク・メッツの本拠があり、ナショナルテニスセンターが全米オープンテニスの聖地となっている。

こちら西宮は、甲子園球場だけで阪神タイガース・高校野球・アメフトの甲子園ボウルという3つの聖地の役割を担ってきた。それでも、少しずつ周囲ではマリンスポーツなどのゾーン整備が広がり、緑豊かな武庫川河川敷では快適なランニングコースがあって、少年サッカー・ラグビーも盛んである。そのような次第で、武庫川線の車両も昨年から阪神タイガースのアイコンを取り込んだデザインとなり、スポーツとともにある地域の未来を先取りしている。まさに、鉄道は歴史を表象していると言えるだろう。

佐野吉彦

武庫川の空の下。

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