2007/06/13
No. 86
先ごろ、自宅の近くにある集会施設にエレベーターが設置された。民間団体によって24年前に新築されたRC3階建の「会館」は、外装の吹き直しや配管系統の更新はなされてきたものの、ユニバーサル化には手が届いていなかった。昨秋ようやく設置する運びとなり、これを機に会館を地域に貸し出すことも目標に加わった。この会館と団体に私はずっと関わりがある。そういう経緯から、この一連のプロジェクトを推進する役目がまわってきた。
実のところ、仕事はスラブに孔を開けて9人乗りのエレベーター+便所1箇所を増設するという地味なものである。企画案作成から始まって設計図書のとりまとめや施工者選定・査定・監理に至るステップはそう困難なものではないが、事務所のスタッフにも協力を求めた。一方で、団体内の合意形成・専門家がどう関わるかの手順説明・上部組織への申請や貸し出し規則の策定を含めると、私自身の週末の時間を結構費やすことになった。ささやかな工事ながら、団体にとっての大きなミッション。これを引き受けたわけだ。
いざ完成してみると、エレベーターは昔からそこにあるかのよう。ごく自然に使われている様子を見るのは嬉しいものだ。そんなある日、利用するひとりの方から電話を頂いた。彼女は足が悪くて2階以上に行くのが億劫だったが、今回初めて3階まで上がってみたという。こんなに部屋があることも知らなかったし、こんな眺望があるとも気づかなかったと語る声には、私をねぎらう意味も含まれていたが、それ以上に新鮮な発見ができたことの素朴な喜びがあった。
エレベーターは、彼女にとっての希望の光を灯す役割を果たした。部分的な改修であっても、建築がかたちづくられることは、人生の領域を広げることにつながったようなのだ。心のユニバーサル化と言って良い。今回の工事は、部分的ゆえに明瞭なメッセージが伝わりやすかったかと思う。1台のエレベーターが建築の潜在的な活力を呼び覚ました、という構図である。このプロジェクトを手がかりに建築がもたらす効果が広く実感されたのだとしたら、なお一層嬉しいことである。