建築から学ぶこと

2010/01/27

No. 214

身体と表現形式

今日のようにBIMで図面をまとめる時代になっても、現役の建築家には、トレーシングペーパー以前の和紙で図面を書いた世代が含まれる。建築に限らないが、この時代のものづくりの技法の変化は著しいものがある。その割には建築を完成させる手順は大きく変わっていないけれども、生み出される建築に技法が影響を与えていないはずはない。線を引く鉛筆の筆圧と紙の硬軟とのあいだにある身体感覚と、PCを通して情報を処理する身体感覚は異なるものである。それが効率化だけを目指す変化でないのなら、そして優れた解を見出すために労力を惜しまない覚悟があるなら、それはただしい表現形式となってゆく。今は形式の移行期ならではの多様さがあるけれども、これからの健全な建築は新しい形式を介して生み出されることになるだろう。

さきごろ、俳句を詠む人に、短歌を選ばなかったのは自分の身体感覚に5-7-5がフィットしたからですか?と聞くことがあった。ついでに、陸上競技における短距離と長距離のような差があるのでは?と添えてみた。ああ、そうかもしれませんね、むしろ短いほうに長距離のドラマがあるかもしれない、と彼は答えた。確かに、書きたい中味と身体感覚とは関係がありそうだ。表現形式を選ぶきっかけ自体は偶然だったとしても、それはやがて必然となり、最終的には、形式とは個人の意思と成果をつなぐ確実な手がかりとなる。もっとも、稀有な才能を持つ表現者なら、多様な形式を使いこなすところへ到達できるだろうが。

ここに、<アレクザンダー・テクニーク>という、もともと演劇や音楽で用いられてきた、身体を意識することで専門能力を鍛える理論がある。近刊の「ランニングを極める」(春秋社)はその視点をランニングに適用してみている。そこでは、身体とは、意思=頭脳が先取りして一体的に動くべきものであること、身体にいま起きている問題を感じ取りながらも周囲の状況にフォームを合わせにゆかない自律性を保つべきことが指摘されている。どうやら意識と身体と表現形式のあいだの適切な関係こそが、どの分野においても、時代を超える真実を導くようだ。

佐野吉彦

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