2007/01/31
No. 68
そこに水があることで人は潤い、癒される。災害時にはその思いは切実なものだが、平時は人の心を結びつける役割を果たす。「地区のなかにある水」のまわりに人を集め、水を様々に活用することは、産業の掘り起こし効果があるだけでなく、かけがえないものを大切に使うという精神を醸成する。水の存在を常に感じさせる地域デザインは総合的に意義あるものなのだ。災害時の支援・復興においては、それがベースとなって機動性を発揮することになるだろう。
玄海島(福岡県)の震災復興を題材にした「井戸環」という提案(2006年度日本建築学会技術部門設計競技・最優秀賞)は、島にあるいくつかの井戸をループの道でつなぎ、地域に安定感とアクセントを加えるものである。海が眼前にありながら、島とは使える水を手に入れるのに苦労するところ。そこで掘られる井戸は生活インフラであり、建築的に魅力のあるランドマークであるが、社会学的にも可能性に富む指標とも言える。それらを複合させた「井戸環」提案は玄海島の固有性に留まらないアイディアであったと思う。
水をキーとしてまちが形成されている好例は各地に見られる。運河のベネツィアや柳川(これも福岡県だ)にあるヒューマンなスケール、大河の物語性が効いているウィーンや新潟、岐阜。これらの都市では、川面を走る舟の緩やかなスピードも、まちのリズムとうまく対比している。一方、富士の裾野の湧水が姿を現す三島(静岡県)は、視覚だけでなく、せせらぐ水音が聴覚に訴える場所だ。
水面と間近に接する長い小径が丹念に形成され、生活に組み入れられてきたプロセスには、このまちの人々の身体に水の存在が根を下ろしているようすが実感できる。単なる自然の維持再生でなく、三島全体が、水の流れと表情を追いかけながら結ばれるネットワークが創成されてきている。この個性ある試みでは、生態系が連続するだけでなく、生活系もなめらかに連続している。