建築から学ぶこと

2007/11/14

No. 107

北摂というブランド

通っていた小学校は、西宮市と宝塚市を南北につなぐ阪急電鉄今津線の沿線にあった。この線は、ほぼ真中で東西に流れる仁川という短い川を渡る。この川は天井川なので、線路は急勾配で上って、すぐ下る。私にはお馴染みの、平坦な風景が続く南部・西宮側から登坂してゆくと、仁川を過ぎた下り坂から、景色が急に転換する。東西に山並みが横たわり、阪神競馬場を望み、やがて宝塚歌劇の大劇場が近づき、宝塚ファミリーランドの間を電車は抜け、終着の宝塚に至る。この展開は意外性に充ちていた。私にとって、ワクワクする異世界である「北摂」が順番に姿を現してくる場面だった。

北摂とは、千里ニュータウンのある大阪府北部や池田、兵庫県下の宝塚や伊丹を包含する地域と定義できる。これは明治末期に始まる郊外住宅地開発の動きの最前線にあり、現在に至るまで大都市大阪の発展と連動してきたと言えるだろう。1922年に箕面市域で日本建築協会が主催した桜ケ丘住宅改造博覧会、1970年の大阪万博などのイベントは郊外都市整備に弾みをつけるものとなった。

もともと、北摂は上方落語の「牛ほめ」や「池田の猪買い」にも登場するように、大阪の生活を支える、親しみ深い郊外であった。歴史的には、急ごしらえの近代都市群ではない。酒どころの伊丹、名勝・箕面聖天や中山寺、園芸・植木で名高い山本など、時間をかけて形成されたしぶとい独自性を各地で見出すことができる。

現在のこの地域は、交通の拠点である大阪国際空港(伊丹空港)を擁し、ダイハツなどの大型工場が立地し、先述の競馬場や宝塚歌劇などのアミューズメント施設が併存している。文化史的にも産業史的にも興味深いエリアと言える。これらは産業観光の対象としてもスポットが当たって良いものばかりだが、これからの北摂は、ここで記した「サラダボウル」性をうまく溶け合わせる試みが望まれるだろう。産学・地域の連携、ニュータウンの更新、国際文化公園都市(彩都)の整備、といった新たな課題に取り組みながら、北摂というブランドイメージを固めてゆく必要があるのではないか。

佐野吉彦

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