建築から学ぶこと

2018/06/20

No. 627

詩人大使の足あと:ポール・クローデル

詩人・劇作家であるポール・クローデル(1868-1955)は、外交官としても確かな足跡を残してきた。彼は、中断を挟みながら1921年から27年の6年にわたってフランス国・駐日大使の任にあった。その間、外交官として何を考え、何に取り組んでいたかは「孤独な帝国 日本の一九二〇年代」(草思社文庫)で読むことができる。所収された公式書簡・講演録は明瞭にして高雅で、それ自体が優れた文学である。ここでは第一次大戦後のフランスや日本が採るべき道について重要な知見が述べられており、今日のわれわれは、クローデルの肩に乗ってその時代の空気を知ることができる。現在(7月16日まで神奈川近代文学館)開催中の「詩人大使ポール・クローデルと日本展」でも見ることのできる、関東大震災や大正天皇の大喪の儀についてのレポートは貴重な歴史資料であろう。
クローデルが具体的な成果として実現させたのが日仏会館(東京)であり、さらに関西日仏会館(京都)の設立にも奔走する。そこには両国の距離を縮める外交戦略はあるが、文学や芸術において相互に影響を与えあってきた両国の絆をより強めるねらいがある。まさしく詩人大使(日本人がこの敬称を与えた)でなければなしえない成果であった。
日本在任中、クローデルは歌舞伎など様々な分野の芸術家と触れあうことで、そこから着想を得て自らの戯曲を創作した。交友があったひとりが建築家アントニン・レーモンド(1888-1976)である。クローデル在任中の1922年に東京で設計事務所を設立したレーモンドは、その翌年の震災で倒壊したフランス大使館の仮大使館の設計に関わった。いろいろな機会の集合写真に一緒に登場するふたりは相当に親しげである。クローデルはカトリック・コミュニティに深く根ざした人であるので、もしかしてレーモンドが聖心女子学院の設計に関与するきっかけを整えたのではないかと想像している。

佐野吉彦

読みやすい本です。

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