2021/06/23
No. 775
この1年、私が属するいくつかの団体の会合では大半がオンラインに変わった。立ち上げに試行錯誤していた1年前の時点と比べれば、はるかにスムーズな進行である。ここで身につけた知恵はコロナが終息しても活用できるだろう。一定のレベルでの議論も可能であり、優れた講師やゲストを、移動の労をお願いしなくても招くことができる。ネットワークの安定化、データ作成やプレゼンテーションの技量も高まった。一方で、そこにいるメンバー相互に信頼関係があるなら、オンラインを使ってまだまだ進化はできるのではないか。団体も企業も、この1年の知見をふまえ、これまでの運営を新しい方向に変えるよいきっかけとするべきだろう。
さきごろ、ある大学の一般教養課程でのオンライン教育の工夫に触れる機会があった。語学や体育のように、オンラインでは難しそうに感じてしまう科目でも、この1年、教師は果敢に取り組んできたことがわかった。双方向の議論誘発や学習の進捗確認など、教師がこなす務めにはいろいろあり、目指したのは見せ方・語り方の洗練だけではない。オンラインにかかわる技術はすでにあったもので、それらを試し、組み合わせてみたことで、指導内容全般、学生の反応に良い変化が生まれたということである。長期的にみて、教育の質を充実させる基盤がこの1年で急速に整った印象を持った。
以上に掲げたような場での進化は、国境を越えて人が再度自由に往来できるようになったとき、国の底力になるだろう。それを期待するだけに、国や自治体がコロナ対策やワクチン接種で懸命の努力をしながらも、ネットワーク技術とともに脱皮した感じが足りないところは気になる。法律がその足枷になっているなら、法改正も必要だろう。そこまでしなくても、さすがわが政府は危機に直面してもスマートにこなせるね、と思いたいのである(*)。
* ちなみに、政策方針を金曜日の夕方に出す傾向を改めるだけで、民間が週末に手配や対応に追われなくてすむ。それらも含めてのスマートさである。