建築から学ぶこと

2022/09/07

No. 834

その視角にある普遍性-「世界は五反田から始まった」

子供のころ、大井町(品川区)と自由が丘(目黒区)に親戚が住んでいた。大井町の家にはよく泊まったので、そこから自由が丘へは東急・大井町線(一時期は田園都市線)を利用した。乗っている時間も駅間も短いなか、風景は細かく変化し、池上線や目蒲線が交わってきてワクワクした記憶がある。商店街や町工場から穏やかな住宅地、病院や斎場があるエリア。大井町を中心とする城南地域は、立ち寄るたびに、いろいろな時期の記憶が蘇ってきて懐かしい場所である。
そういうこともあって、城南に含まれる戸越銀座(品川区のうち旧荏原区領域)に育ち、今も拠点を置く作家・星野博美さんの近刊「世界は五反田から始まった」(ゲンロン、2022.7)は大いに楽しめた。この本は五反田を中心にして戸越銀座を含む小世界を対象とし、そこで生き抜いた人々の願いや心意気といったものを通してこの小世界の近代史を描き出している。同じ星野さんの「コンニャク屋漂流記」や「みんな彗星を見ていた」とも共通する温かな眼差し、丁寧な観察力はここでも健在である。
一見、世界が五反田から始まる、という切り出し方は大胆である。だがそもそも、この地にあった昭和の歴史自体が濃密なのである。工業の進展、空襲で地域が焼失し、そこから立ち上がるという時間経過のなかで、この地の人々が皮膚感覚で獲得した視角は、じつは世界の課題へとつながる普遍性を有していたとは。著者はさらに、過去の重要なできごとを、この本が書かれたコロナ下の行動自粛状況と重ね合わせ、そこから世界をどう生き延びるかの知恵を導き出しているのである。言葉を残してくれた人、残してはくれなかった人。五反田の地に生きたひとりひとりの歩みに寄り添い、そこから思考を深く掘り下げ、そして最後に明るい希望を灯してくれる素敵な本と言える。

佐野吉彦

池上線、五反田から目黒川を渡る架橋。

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