建築から学ぶこと

2008/08/20

No. 144

8月15日をまたぐイヴェント

日本にとって、8月15日と、それに先立つ日付の持つ意味は非常に重い。最近になって公開された資料や記録などを手がかりに、この戦争の再検証が進んできた。記憶の風化を嘆く時代になったのではなく、ようやく実像と冷静に向きあうステージに至ったと言うべきだろう。これからは、東アジアの歴史の大きな変曲点として、8月15日の事実と意味が各国で共有されることにおおいに意義を認める。すでに近代史研究の国際的連携は始まっているのだが、過去を共有することで、未来に向けての共同歩調をとることができる。成果が着実に進展することを期待したい。

北京オリンピックが、そうした8月15日をはさんでの開催というのは興味深い。オリンピックは、第2次世界大戦による中断、乱射事件、米ソ対立の中での変則的開催など、しばしば戦争や政治と微妙な関係のあったイヴェントだった。スケジュール決定にそういう含意はあったかどうかはわからない。それはそれとして、日本発の柔道が国際的なスポ−ツに育ち、東アジア諸国や旧ソ連の国々の選手がいきいきと戦う姿などを見ていると、8月15日以降に各国の文化が複合しつつ、予想しえなかった(好ましい)変化を遂げたことが実感できる。

かたちの上では、選手は国の代表である。かつてのオリンピックと違うところといえば、力任せや精神性よりも、ゲームにおける相手や場・プレイタイムを細かく分割して認識し、周到な準備をおこない、いかに知謀をめぐらすかという知的勝負に変わっていることである。選手の側の自立性が高まっているのだ。一方で、今回は主催側の中国が自国をいかに鮮やかにプレゼンテーションするかに力が入っており、建築も国家的威信を象徴するわかりやすい装置として援用されている(建築家の意図は別にあるようだが)。この従属性と、選手たちの自立性。円卓の盛り付けの妙もある北京オリンピックである。

佐野吉彦

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