2012/06/27
No. 331
さきごろ、山の辺の道を訪ねる機会があった。奈良盆地の東の山裾、石上神宮と桜井を緩やかに結ぶみちは、古代にそのルーツを求めることができる。神域を訪ね、環濠集落をかすめ、古墳群をくぐりぬけてゆくと、この地域が紡いだ歴史の断片を身体がつなぎあわせてゆくような感触が生まれる。手順に沿って完結を目指す、著名な四国八十八箇所のような巡礼のみちには険しさ・厳しさも宿るが、こちらもこの道を歩んだ先人に連なる意味が重要なのだ。風景の中に、長く延びた紐のような歴史空間が仕掛けられているとも言えるだろう。それは、静かだが明瞭な存在感を誇り、現代も社会資産であり続けている。
現在の都市の中にそうした「長さのある空間」を配することは効果的である。たとえば博多山笠や祇園祭の祭礼路は時代によって変化はしているが、そのルートはまさに都市と祭りの切れぬ縁を実感させるテクストとなる。また、ボストン市域に設定されたルート<フリーダム・トレイル>は、歩いて知るアメリカ独立物語。同じ街のボストン・マラソンも同じ趣旨に沿ってルートが選ばれている。都市のキャラクターを形成するものだ。大阪府下の泉州マラソンの意義はどうか。ランナーは走路に現れる和泉都市群のつながりを実感するだけでなく、開催することで都市間の緊密な連携も図られる効果がある。
この例のように、長い紐を上手に演出することは人の動きの誘いだしにつながる。都市景観を支えるのは良好な街路であるから、いきいきとした線を形成するために、物語に沿った演出を重ねあわせることがポイントとなるだろう。単純なデザインコードによる景観コントロールでは街路の地権者の心は動きにくいが、良くできた物語なら乗ってみようと思うものである。来訪者をうまく歩かせて、さまざまなポイントで消費が成立して、身体に好印象が残るなら、長期的には好循環が生まれる。