建築から学ぶこと

2009/12/16

No. 209

近代遺産: そこにあることと、そこにないこと

初めて筑豊を訪れたのは1990年代だった。私は少年の頃、ボタ山を背にした蒸気機関車の写真をよく見ていたので、炭鉱とともにある風景はもう消えたのだな、と感じ入っていたら、同行者があの山もこの山もボタ山ですよ、と教えてくれた。よく見れば、そこに円錐に濃い緑をまとった山稜が静かに座っている姿があり、おおいに驚いた。1960年代に終焉を迎えた石炭採掘とそれに付帯する施設と用地は、あるものは継承され、あるものは機能変換されながら時を過ごしていたのだ。

‘文化’資源としての<炭鉱>展」(目黒美術館で開催)では、主に戦後の、炭鉱のあった各地域のインサイドにあった美術や写真などの創作活動が扱われ、さらに過去形で語られがちな炭鉱時代・炭鉱文化というスキームと向きあう川俣正さん等の今日の取り組みが紹介されている。画期的な作業・企画である。様々な眼差しが、強い存在感を示すボタ山から異なる意味を感じとっていることを知るのは興味深い。

片や、藤井厚二が設計した自邸「聴竹居」(京都府・大山崎町、1928)は、さまざまな実験的試みに満ちており、関係者の努力によって維持管理・活用されている。聴竹居という建築が伝える情報とは、その時代に存在していた技術と、それを巧みに編集・解決した、人智だ。また京都と大阪のあいだにある大山崎という場所の意味も、そこに今在ることによって明らかになる(程近くに大山崎山荘やサントリー山崎蒸留所がある)。だから可能な限り、近代建築遺産は現地で受け継がれるべきものであろう。

人類がたどった歴史は、それぞれの局面において、必ず風景に手を加えてきた。それがいかなる結果であろうと、描き加えられた風景を検証することなしに、人は次の時代の構図を描くことはできないのではないか。いまそこにあるものも、ないものも、ともに重要である。まさしく、建築家にはそうした手順をきちんと踏むことが期待される。われわれの責任は重いのである。

佐野吉彦

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