2009/06/03
No. 183
イタリア映画祭2009で「ジョヴァンナのパパ」(2008)を観た。第二次世界大戦をまたぐ3人の家族の人生には痛切なものがあるが、良質のユーモアもあり、しっかりとした手ごたえが残る映画だった。登場する建築やインテリアも興味深い。舞台である都市ボローニャが戦争末期に抱えた政治的に不安定な構図と、それが及ぼす心理的不安とを、それらは巧みに描き出す名役者となっている。
私は論じるほどに映画というものを熟知していないけれど、スクリーンに表れる建築は、映画の出来の帰趨を左右するものだろう。イタリア映画のなかでは、古くは「ベニスに死す」(1971)におけるヴェネツィアの路面に印象深いものがあるし、父子の間の距離感を見守る「パードレ・パドローネ」(1977)では、サルディーニャの風景と都市ピサを上手に扱っていた。「カオス・シチリア物語」(1984)における乾いたイタリアと、ロシア人であるタルコフスキーによる「ノスタルジア」(1983)に登場する湯治場にある湿り気漂うイタリアとを比較して考えると、この国の風景は、映像として実に多彩な可能性を有していると思う。イタリアの風景は、長い歴史の中で透視画法の眼差しによって鍛えられ、形成されてきたものだ。
ところで、スクリーンのなかで、あの建築はこういう舞台装置として活かせるのか、と驚くことがある。「ガタカ」(1997: これのみ米映画)が、未来都市のオフィスとしてフランク・ロイド・ライトのマリン・カウンティ庁舎を使っていたのは新鮮な記憶で、建築の潜在的な意味を探り当てていた。「ドン・ジョヴァンニ」(1979)はモーツァルトのオペラをアンドレア・パラディオのラ・ロトンダ他を起用して制作されたもので、その後のオペラ映画への先駆的な試みだった。象徴性のある形態のラ・ロトンダを使うアイディアは、音楽にある抽象性を損ねない選択だったと思う。