建築から学ぶこと

2021/09/15

No. 786

大正時代の改革機運

アメリカでは、20世紀初頭に能率増進運動が盛んになった。それに、産業能率大学を創設する学者・上野陽一(1883年生)や、大阪の加島銀行の専務を務めた星野行則(1870年生)らが関心を寄せる。フレデリック・テーラーが著した「学理的事業管理法」(「科学的管理法」、1911)には作業の標準化や、作業管理に最適な組織などについて述べられていて、星野がこれを翻訳したのを契機に、明治から大正に移る日本でもにわかにあちこちで能率化研究・実践に勢いがつく。日本も世界に負けてはいられないという空気であり、このあたりはDXに向けて火がつく昨今の日本と似たところがある。もっとも単に浮足立っていたわけではなく、この時代は日本における経営コンサルティングの揺籃期となった。

もうひとつ、日本には明治時代に興味深い動きが生まれていた。国語国字改革の機運であり、国字改良・かな文字化・ローマ字化など多くの議論が起こった、新しい国家には様々な可能性があったのである(漢字は戦後にいくらか簡略化した)。そのなかで山下芳太郎が提唱し、伊藤忠兵衛や星野行則らが1920年に設立した「カナモジカイ」による<カナモジのみの表記>の実践は、大阪の企業人が率先して事業で採用した。つまりこれも効率化運動とリンクした取り組みなのであった。この取組みは戦後においても梅棹忠夫(1920年生)がバトンを受けて工夫を重ねるが、ワープロの普及とともに勢いが弱くなってしまっている。

さらに、1887年に始まるエスペラント語の運動もこの時期の世界に広がり、それは日本にも及んでいる。1920年設立の国際連盟では公式言語として採用される可能性もあったようだから、世界の連携を目指しての言語改革は、交通と通信が発達する時代にあってアクティブだった。カナモジカイのひとたちもその動きは知っていたであろう。一方で建築におけるモダニズムもこうした時代の精神を宿しながら、世界に広がり、好ましい変化を地域にもたらしていた。この時代はコマがうまく進んだ時代である。

佐野吉彦

綿業会館(大阪、重要文化財1931)にある日本綿業倶楽部は、カナモジカイメン バーの集まるところであった<Photo:Mc681

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。