2008/06/18
No. 136
中国・四川省の地震発生から1ヶ月ほど経った。その甚大さは報道を通して伝わってくるが、多少もどかしい感がある。揺れの激しい地点での倒壊被害については因果を明らかにすることができそうだが、地域全体の現況の報道はまだ不足している。それが出て来れば、復興のために地震国日本がどういった寄与ができるかが具体的になる。
エコノミストによれば、地震が中国経済全体に与える影響は少ないとの見方があるが、そう簡単に要約できる規模の災害ではないだろう。長年、チベットの建築を愛情ある眼差しで調査し、「チベット建築・寺院巡礼」を著した大岩昭之さんは、もともとのチベット文化圏が及ぶ四川省西部山岳地帯の建築被害を心配している。貴重な建築遺産もある。政情不安の問題とは全く別に、四川省のおおよそ半分の面積を占める山岳地帯まで実情確認の手がまわっていない状況であれば、復興への道程にはさらに多くの手が必要であろう。
さて、地震だけでなく、このところ大きな風水害が世界各地で続発している。気になるのはそうした報道のなかに、これらはいずれも地球温暖化の影響だと単純に帰結するコメントがみられることである。確かに要因のなかの大きな要素には違いないが、そう急いで整理しなくてよい。人類の歴史とは災害と向きあって生き延びてきた歴史であると捉えれば、要因の究明とともに、それぞれの災害においていかに適切な復興のプロセスを選ぶかに報道の重点が置かれるべきだ。
先ごろの岩手・宮城内陸地震では、地域をマネジメントするために現代の土木技術をどううまく適用するかが課題として浮かびあがっていると思う。とかく報道は、尋常でない災害・事件に接すると、シンプルな言葉で総括を急ぎたがる。だが、切れ味の良すぎるコメントはそこに潜む問題を見えにくくする。深刻さの速報はもちろん大事だが、時間をかけた丹念な掘り下げこそ将来のために有効である。