建築から学ぶこと

2005/09/21

No. 1

ガスビルのお化粧直し

ガスビルが竣工したのは1933年(昭和8年)。大阪ガスはその4年前に会長・片岡直方(なおまさ)の決断で大阪の新しい大通り・御堂筋に面したワンブロックの土地を手に入れていた。それまで大阪の南北の主要街路は東寄りの堺筋であったが、1933年のガスビル完成と地下鉄御堂筋線の開通を皮切りに、御堂筋は新時代を象徴するアベニューとなった。心斎橋にはその翌年に大丸、さらにその翌年にそごうが開業するなど、老舗も新しい場所に賭ける。こうして近代大阪の顔が一気に整っていった。その10年後、大阪の街は灰燼に帰すことになるのだが、これらの近代建築はおおむね無事だった。どうやら米軍が利用価値ありと見て空襲の対象から外したようでもあり、事実、ガスビルは占領軍によってしばらく占有されることになる(東京における第一生命館と似た状況である)。

その後のガスビルは1966年の北側の増築を経たあと、阪神・淡路大震災にも耐え、現在南館は有形文化財として登録された。竣工時から営業を続けてきたレストラン「ガスビル食堂」も改装され、ビルはさらに寿命を延ばすことになる。高さ31メートルを8階で割った階高であるので、天井高も現代の業務にも堪えられる十分なもの、と言える。ただ、タイル貼りの外装については、経年変化が避けられず、順次全面的な貼り替えを進めることになった。厳密には全くの同色・同じ目地幅のタイルではないけれども、ひとまず南半分の工事が今年、完了した。ところで、ガスビルに限ることではないのだが、戦時中の都市建築は防空を目的して、外壁はしばらく黒く塗りこめられた(大阪市内にある、同じく有形文化財の小西邸は黒いままにしてある)。その歴史を証言するタールの痕跡が、用済みとなった古いタイルや目地には、かすかにこびりついている。新築と改修工事に関わった各社は、波乱に満ちた近代大阪を物語るタイルを、額装して保存することにした。

佐野吉彦

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