建築から学ぶこと

2023/05/10

No. 867

国際交流は新たな視点を促している

日本の戦前にはアメリカとのさまざまな往き来があった。1893年のシカゴでの世界博は一つのエポックだったが、その時期には移民が盛んで、財界人の渡航もあり、多くの人々が海を渡った。そこから、知識の吸収だけでなくグローバルな眼で世界を獲得した人も現れた。新渡戸稲造(1862-1933)もそのひとりで、彼の尽力を含めて、日本は1920年創設の国際連盟で重要な役割を果たしていた。
大阪財界の雄だった星野行則(1872-1960)も、1911年にフレデリック・テイラーを日本に紹介、2年後に同氏の「学理的事業管理法」を翻訳し、日本における経営改革論・経営効率化論の啓蒙に努めた。さらに、カナモジカイを設立して日本語改革運動の旗手ともなる。日本国内でもこうしたポジティブな動きが起こるなか、建築学や都市計画にも理論化の基盤が形成され、建築技術の戦後の飛躍の準備を整えた。日本の様々な分野の知的レベルは世界の最先端とすでに共振していたのである。
その後の歴史はご承知の通りで、日本の基幹産業の再起動は1950年を過ぎてからになる。その時期、民主主義の定着も影響して、建築などの工学分野で「システム思考」が浸透した。戸田穣さんは「1950年代の建築学」のなかで(「内田祥哉は語る」[鹿島出版会 2022]に所載)、「建築あるいは都市を科学的に認識すること。(中略)このような抽象化の傾向が、この時代、それぞれの分野がまだ若かったころのモチベーションではなかっただろうか。」と述べている。言わば、自由で開かれた発想を生んだ時代である。結果としてシステム思考は住宅生産の迅速化や建材の大量供給を用意し、建設業の近代化脱皮にも大いに貢献する。
のちにそれらは硬直したシステムと言われたりもしたが、まだ想像はできない。その後国際交流は2度と戦争によって腰が折られることなく継続し、そこから、硬直性を解決する知恵を、色々な局面で得ることができた。やはり平和な国際交流は、社会の持続を促す上で重要なのである。

佐野吉彦

心が動くところから、はじめる

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。