2019/07/03
No. 678
オーストリアといえば、建築をはじめとする文化の都ウィーンにまず目が向いてしまうが、国の至るところで風光明媚の山河の誉れが高い。たとえば南部にあるケルンテン州・ウェルター湖畔は保養地として人気がある。ここはブラームスが穏やかさに満ちた交響曲第2番、マーラーが第5番から第8番に至る大作の数々を作曲した場所として知られる。19世紀から20世紀初頭のケルンテンの夏は、大作曲家に着想と創造力を与える世界だったのである。ところが、「物語 オーストリアの歴史」(山之内克子、中公新書2019)によれば、1918年の第1次世界大戦の終結、すなわちハプスブルク君主国の崩壊がケルンテンの潮目となっているようだ。やがてオーストリア共和国、さらにナチスによって育ったナショナリズムは、スロヴェニア系人民の排除のエスカレートに向かう。その痕跡と鬱屈は住民のなかで21世紀に入っても尾を引いているという。
ケルンテンだけではない。オーストリアの各地方は歴史のなかで、西からはドイツ・フランス・イタリアの重圧を受け、東からはオスマントルコ西進の恐怖にさらされ、さらに新教・旧教の対立に翻弄された地である。たどった歴史や心情は地方ごとに色あいがはっきり異なるのは興味深い(それは建築の様式にも影響が及ぶ)。そうした過去と現在をこの本は教えてくれるのだが、近代に入って、都会あるいは周縁部で自然に進んできた多文化共存あるいは多民族化共存は、ナショナリズム勃興と国境線画定の動きに翻弄されてバランスを崩されてゆく。
19世紀の欧州は国際協調を目指した時代であったが、その取り組みの未成熟が事を大きくしたかもしれない。その反省から国際機構は積極的な役割を果たすようになった。それでも現代のわれわれは、自制しなければ、あるいは丁寧な対応を怠れば無用な軋轢と抗争を生み出しかねない世界にいる。オーストリアの苦闘は現代への重要な教訓となるだろう。